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渡部 親三(宅建士・リフォームスタイリスト)

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公開日:2023年11月25日

REDSエージェント、宅建士・宅建マイスターの渡部です。REDSエージェントがご紹介する【東京の街】シリーズ。今回は東京都大田区をご紹介させていただきます。大田区で不動産探しを検討される方に役立てば幸いです。

大田区

(写真はイメージです)

区の区名の由来

大田区の区名は、昭和22(1947)年に当時の大森区と蒲田区が合併して誕生したことに由来します。両区の旧町名から一文字ずつ取って命名された合成地名です。

かつては手書きで住所などを書こうとするときに、大田区は「大=大田」だったか「太=太田」だったか? と迷うことがありました。しかし大森の「大」に由来することを知ってからは一切迷わなくなりました。

大田区の歴史

大田区の歴史は、古くから人々が暮らしていた大森貝塚の時代(縄文時代)までさかのぼります。江戸時代には、東海道の街道筋にあたっていたため、人馬の往来で賑わい、海岸部では海苔の養殖が盛んに行われました。

明治時代に入ると、日本初の鉄道である新橋・横浜間の鉄道が開通(明治5年)した4年後に大森駅が設置され、交通の要衝となりました。その後、京浜電気鉄道(現・京急本線)も開通したことで、蒲田駅周辺は商業・工業の中心地として発展しました。

大正・昭和時代には、中小工場が進出し、低地部は住宅や工場が密集する商業・工業地域を形成しました。また、高地部には田園調布などの高級住宅街が開発されました。

戦後は、羽田空港の開港により、国際空港として世界中から多くの人々が訪れるようになり、区の経済・文化の発展に大きく貢献しています。

大田区の地質

大田区の地質は、大きく分けて2つの地層で構成されています。

1つは武蔵野台地を形成する地層です。武蔵野台地は、約2000万年前から約1000万年前にかけて、関東ローム層が堆積して形成された台地です。大田区の武蔵野台地は、比較的平坦な地形で、関東ローム層の厚さは平均約20mです。

もう1つは多摩川の堆積物で形成される地層です。多摩川は、約100万年前から現在にかけて、大田区の南東部を流れており、その堆積物によって、三角州や海岸低地が形成されています。三角州は、多摩川の河口部に堆積した砂礫や泥で形成される地形で、大田区の羽田空港周辺や、東海道新幹線の線路沿いに広がっています。海岸低地は、海岸線に沿って堆積した砂や泥で形成される地形で、大田区の海岸部に広がっています。

大田区の地盤は、全体的に安定していますが、三角州や海岸低地では液状化の可能性がある地域があります。

大田区の人気の街

大田区は、さまざまな特色を持つ地域が点在しています。それぞれの地域に個性があり、多様な魅力にあふれています。また大田区は地域全体が交通の利便性に優れています。JRや京急、東急などの鉄道が乗り入れており、都心へのアクセスも良好です。また、羽田空港へのアクセスも良好で、国内外の旅行や出張にも便利です。

そんな大田区の人気の街をいくつかご紹介させていただきます。

田園調布

渋沢栄一などが設立に関わった田園都市株式会社が1923(大正12)年8月から分譲を開始した都内を代表する高級住宅地です。駅西側の3丁目あたりの整然としてかつ、ゆとりのある街の造りは、宅地分譲や都市開発がスタートした当初の理想の高さを感じさせます。土地勘がない方は「田園調布は世田谷区」と認識されていることがありますが、玉川田園調布エリアを除いて田園調布とつく住所は大田区内にあります。

大森

先ほど触れたように明治9(1876)年に開業した「大森駅」を中心に発展したエリアです。

大森はJRの線路を挟んで海側と山側に分かれます。海側には町工場が集積し、住宅と共存共栄を図っています。また、都内で初めての区立海浜公園となる「大森ふるさとの浜辺公園」があり、浜辺での磯遊びや23区で最大級の長さを誇るローラー滑り台を楽しむことができます。山側は「山王」アドレスで歴史のある邸宅地として知られています。

久が原

「久が原台」という台地上の碁盤の目のようにきれいに区画整理された久が原エリアは田園調布や大森山王ととともに区内有数の高級住宅地とされています。場所にもよりますが道路幅が広く平坦な場所も多いです。「高級住宅地」にありがちな威圧感は、それほど感じさせない印象です。昔から人間が住むのに適していたのか、弥生時代の「久が原遺跡」などが見つかっており、出土した遺物は大田区立郷土博物館に展示されています。

蒲田

羽田空港にも近い、大田区を代表する商業地・繁華街が蒲田です。平成10(1998)年に区役所が大森(大田区中央)から現在の蒲田駅前に移転し、行政の中心も蒲田に移っています。区の中心地なので利便性は高く不動産の取引も活発です。

戦前には「松竹蒲田撮影所」があり映画の街として発展しました。サイレントからトーキーへの移行期に「町工場の騒音が撮影に支障がある」という理由で撮影所は大船に移転し、跡地には「大田区民ホールアプリコ」が立っています。

大田区の特徴や今後について

羽田空港

大田区の面積は23区特別区内で最も広い約61.86㎢、令和4(2022)年11月現在の人口は約74万人で23区第3位です。面積は、かつて世田谷区が23区最大だったのですが、羽田空港沖合の埋立工事によって面積が拡大し順位が逆転しました。「海に面した区」ならではですね。

大田区は都心部や羽田空港へのアクセスのよさから、区全体で将来も高い人気・需要が見込まれます。広い区で地域によって個性が全く異なるので、土地勘のない方はよく情報を収集し、実際に歩いてみることをお勧めします(これはどの地域についても言えることです)。区内東側のもともと海だったエリアは工場が多く、土日に不動産会社に案内され現地を確認するだけではなく、「平日の操業音はどうか?」という視点も持ちたいところです。

武蔵野台地のエリアは環境のよい住宅地ですが、地形が複雑で起伏に富んでいる場所が多いです。「こんなに坂が多いとは知らなかった!」という声もよく聞きます。車で回るのも効率が良いですが、やはりご自身の足を使って歩かれることをお勧めしたいです。

羽田空港の機能強化が進められ、大田区は国際的な玄関口として、ますます注目を集めるようになります。また、空港周辺の再開発も進められており、新たなビジネスや文化の発信地として、大田区の役割はますます大きくなっていくと思います。

 

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