「不動産王」から米国大統領へ
2016年のアメリカ大統領選挙は、過激な発言で注目を集めた「不動産王」、ドナルド・トランプ氏(共和党)が下馬評を覆して当選を果たし、世界に衝撃を与えました。日本に結果が伝わった11月9日夜、厳しい選挙を何度も勝ち抜いてきたある国会議員が「今までで一番シビレた選挙」と述懐するほどでした。
トランプ氏はまだ大統領の座に就いたわけではなく、その影響は未知数なのですが、あえて先読みをするとすれば、トランプ氏は「従来よりも力の衰えたアメリカ」を率いるにふさわしい「いい大統領」になっていく可能性が高いでしょう。「トランプを大統領として認めない」とアメリカ国内ではデモが続いている中、「いい大統領になる」とはいささか大胆な予測かもしれませんが、その理由や、今後のアメリカの政策が世界に与える影響などについて、述べていこうと思います。

(写真はイメージです)
当選演説から変身しはじめたトランプ氏
「すべての米国民の大統領になる」。当選確実と報じられた後に行われた勝利演説は、これまでの扇動的な演説とは異なり、「大統領らしさ」を感じるものでした。ここにも、その「芽」を感じることができたように思います。
米大統領選挙は1年以上かける長丁場の言論戦。どの候補者にも、大衆の心をがっちりつかむための「決め台詞」がありました。オバマ大統領は日本でもよく知られた
“Yes we can.”
トランプ氏の場合は7月の共和党の代表候補を決める予備選で使った
“Make America great again.”
です。
演説の過激さで判断すればトランプ政策を誤解する
確かにアメリカは長い間、偉大でした、それは、強いドルと、強い軍隊があったからです。今も「世界一」の強国で、あらゆる国際的組織はアメリカの強い影響下にありますが、かつてのように世界中の紛争地に介入する意思も余力もありません。それはオバマ大統領のころからも見られた傾向でした。
「アメリカは世界の警察官の役割はもう果たさない」というのがアメリカの本音です。「偉大なアメリカ」を取り戻すには、実は世界ににらみをきかせる「大国」から降りるしかない。これまでのように他国に軍事行動を仕掛けていく可能性は低くなったと言えるのではないでしょうか。それで世界平和が保たれるのかどうかは不明ですが。
「ウォールストリート」に、アメリカのメインストリームが勝った
トランプ氏は議員や州知事などの政治経験がありません。軍人経験もないため、大統領当選例は1879年のジョージ・ワシントン以来の異端といえます。「不動産王」と言われる大金持ちですが、アメリカのビジネス界では決してと主流といえるポジションにはありません。
では彼はなぜ、当選したのでしょうか? トランプ氏は「埋もれていた声」を焚き付けて政治をひっくり返したのですが、その声が決して異端ではなかったからというのが答えと言えそうです。
昨年からアメリカ中西部を歩いてきたカリフォルニア州在住の知人は、アメリカの国から出たことのない中西部の白人たちを中心とする「斜陽化したメインストリーム」たちが「ウォールストリート」に象徴される「政治エリート、ビジネスエリート、メディアエリート」に勝ったのが今回の大統領選だった、と言っています。
従来の共和党、民主党の枠組みが壊れる
現在、アメリカ経済は好調とされています。なのに、国民の多くはなぜ不満を抱えており、トランプ氏に期待が集まったのでしょうか? アメリカの景気はリーマンショックのあと2009年から7年間回復軌道にあり、利上げが日程にのぼるほど好調です。「景気を(低金利で)押し上げる必要がなくなった」のです。しかし収入が増えたのは2割の家計だけであり、上位1%層が全米所得の2割弱を占めるという日本では考えられないほどの経済格差が存在するのです。
トランプ氏は、父の不動産業を引き継ぎホテル、カジノ、ゴルフコースを持つ成功者ですが、何度も破産を経験するなど、アメリカ国内の浮き沈みとともに生きてきた企業経営者です。しかも元民主党員ですから、「小さな政府」の共和党、「大きな政府」の民主党という従来の対立軸を超えた新たな政策を打ち出すことでしょう。
「政治より経済」「世界より国内」に重点を注ぐ方向性
選挙前からクリントン氏が大統領になれば「予測可能性が大」なのに対し、トランプ氏の場合「分からないことが分かる(Known Unknown)」と言われてきました。演説が一貫性を欠くためでもありますが、「演説とはそういうもの」ということもできます。額面通りに受け取るべきではないでしょう。
当選後、政権移行チーム(委員長=マイク・ペンス副大統領就任予定者)ができ、来年1月の政権発足に向けて動き出しました。はっきりしてきたのは「政治、軍事より経済」「世界より国内」に重点を注ぐことでしょう。メキシコからの不法移民を念頭においた国境の強化、医療保険(オバマケア)改革、金融規制の緩和、雇用の創出…。国内課題優先が鮮明になってきます。
2017年1月20日の就任式のあと5月までを「最初の100日」といいます。それは世界大恐慌下の1933年に就任したフランクリン・ルーズベルト大統領が、就任から100日間で経済再建を目指す「ニューディール政策」に関する法案を次々と成立させたことにならい、米大統領の評価基準として、就任から100日間の政策が重視されてきたという政治文化のこと。「ハネムーン期間」とも呼ばれ、野党やメディアも批判を控えるとされます。この間の3月中旬には、2年間延ばすことで合意している連邦債務の上限引き上げ問題が期限を迎えます。円滑な連邦政府の財政運営を行うことは、公約の実現は横に置いても最低限達成しなければならない課題です。
議会との対立によって米国債のデフォルト懸念が高まれば、リスク回避の動きが強まり市場が混乱する可能性もありますからそれを避けるために全力を注ぎながら法人税率の引き下げ、大企業が海外にため込んだ資金の国内還流にも力を注ぎ、国内景気浮揚と国内再配分政策に力を入れることになるでしょう。
就任後いつドル安(円高)に振れるか
連邦政府が減税とインフラ投資に力を注ぐと、政府の支出が増えます。世の中にカネの量が増えインフレ懸念が強まると、中央銀行にあたる米連邦準備理事会(FRB)は利上げペースを加速させるでしょう。こうなると景気後退や、ドル安懸念が高まります。2018年の下院選挙の前に景気後退やドル安、つまり円高という日本への悪影響もないとはいいきれません。
日本にとってはつらい局面が待ち受けるかも
トランプ氏は明確にTPP(環太平洋経済協定)には反対です。TPPは国内総生産(GDP)の割合が発効条件ですので、アメリカの参加なしにはTPPは成立しません。安倍政権は、TPP発効が困難になったにもかかわらず、衆院でTPP法案を通しました。安倍政権の成長戦略の柱は、貿易面では崩れる可能性が高くなります。
黒田東彦日銀総裁による景気浮揚政策は結局、デフレ脱却にはプラスに働きませんでしたが、外貨で買える日本円が多い(円安)間は、株高とインバウンド客の増加が見込める業種が景気底支えに貢献する可能性が高いのですが、それもいつまで続くのかという不安もあります。日本経済にとっては試練を迎えることになるかもしれません。
山嵜一夫
著述業、毎日新聞グループホールディングス(GHD)顧問。毎日新聞の検察、裁判等を追う司法担当、遊軍記者など記者生活28年を経て、2014年に毎日新聞GHD取締役専務で退任。