地味にスゴイ不動産会社、REDS(レッズ)の校閲ガールの高尾です。
石原さとみさん主演の「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」、とても話題になっていますね! 石原さとみさんのかわいらしさに加えて、校閲の仕事にも注目が集まっており、校閲に関する過去の記事が読まれたり、校閲者のTwitterのフォローが増えたりしているようです。
今回も、校閲担当者の視点から、校閲や編集という仕事の実情や裏話なども交えながら、ドラマの世界をご紹介します!
好きだからこそ担当できない!? 校閲部のルール
「米岡くん、あなたまさか、四条真理恵先生のファンだったんですか……?」
ある日悦子は、人気の小説家・四条真理恵(賀来千香子)の作品の校閲を任されます。それは米岡(和田正人)が担当するはずでしたが、米岡が四条先生の大ファンであるがゆえに担当を替えるのだと、茸原部長(岸谷五朗)は悦子に説明します。
「好きな作家さんや好きな分野の作品を担当すると、作品に入り込みすぎたり、感情的になってミスをしてしまいがちなので、うちでは担当しない決まりなんです」
「大丈夫です」と食い下がる米岡ですが、部長から「感情移入すると冷静に校閲できませんよ」とだめを押されたうえに、藤岩(江口のりこ)から冷静に見落としを指摘され、担当交代を受け入れます。
そんな様子を見て、「好きな作家を担当しちゃだめって拷問じゃない?」と話す悦子に、藤岩は「冷静さを欠いてミスをすれば、結果、好きな作家に迷惑をかけることになる」と諭します。「でも、好きだからできることってあると思うけどな」とつぶやく悦子ですが、はたして実際は……?
客観性と集中力がいい校閲を生む
校閲者が個人的に好きな作家の作品を担当するかどうか――担当の割り振りなどのルールは、会社によってさまざまであり、ドラマのように一律に禁止しているということはありません。(ちなみに、ドラマ中では指摘事項が付箋で貼られていますが、会社によっては「付箋ははがれるから使わない」というルールを設けているところもあります)。
ただ、「冷静さを欠くとミスにつながる」と戒めているのは本当です。
そもそも校閲という仕事は、文字の海の中から間違いやそれにつながる可能性のある箇所を探す、集中力と根気を必要とする仕事です。大きい音で集中を妨げられたり、疲れて作業に集中できなかったりするとでは、校閲の精度は落ちてしまいます。
見落としを防ぐために、初校の校閲と再校の校閲は別の人が担当するという話が過去にありましたが、個人がそれぞれ持っている先入観も、校閲の質に大きく影響します。
「読む」のではなく「文字を見る」
人間の脳は、「文章を単語ごとに把握する」「知っている言葉は補完して読む」という性質があります。このために、多少間違っている文章でも意味が通じるように頭の中で自動的に補正して読むことができるのです。
少し前にネット上の記事で、「文字の順序が間違っているのになぜか読むことができてしまう文章」というものを見たことがある方もおられるのではないでしょうか。詳細は割愛しますが、これもその特性によるものです。
これはすぐれた能力ですが、校閲においては正すべき間違いを検知しづらくなるわけで、困った機能でもあります。これを踏まえて、校閲では「文章を読む」のではなく「文字を追う」ことを意識します。1文字1文字を区切るようにして見ていくのです。
第1話、藤岩が悦子に校閲を説明するシーンで、「(文章を)読むのではなく、1文字1文字見てください」という言葉がありましたが、これはそういう仕事の仕方を指しているのです。
校閲の仕事をしていると、「いろんな作品を読めていいですね」と言われることもあります。しかし、校閲においては普通の読書のように内容を「読んで」いるわけではないのです。「ゲラを読んでおもしろく感じたらその仕事は失敗」という言葉もあるほどです。
好きな気持ちと仕事への思い
悦子は四条先生から、作者ですら失念していた設定の矛盾への指摘を感謝され「まさに校閲のプロね」と評されますが、その指摘を入れたのは悦子ではなく藤岩でした。
藤岩は、実はデビュー作からずっと四条先生のファンだったのです。それでも、「校閲者としては、どの作家に対してもどの本に対しても公平な立場でいたい」からと、ファンであることをひた隠しにして、担当にならないように気を配ってきたのでした。
「見上げたプロ根性だなあ」と言う米岡のとなりで、「好きな作家を担当しちゃだめって拷問じゃない?」と藤岩の切なさを思う悦子の表情もまた切ないものです。
確かに、校閲者であっても、その作家のファンであればどうしても作品を「読んで」しまいがちになります。内容に入り込むと、藤岩のように矛盾を指摘したり、文章の読みづらさを発見したりすることはできるかもしれません。一方、誤字脱字については見つけることが難しくなる可能性は大いにあります。
こうした事情はありますが、実際には、好きな作家の作品を担当できる機会があれば、受けたいと思う校閲者が多いのではないでしょうか? もちろん冷静に、プロとして仕事できるという前提ですが。
指摘への配慮とこだわり
「18年前、本シリーズの前身となる『君は青い春の真ん中にいる』の3作目で、
『恵梨香はカナヅチで1メートルすら泳げない』という記述がありました。
当時中学生だった恵梨香が18年の時を経て泳げるようになったという設定なら問題ないのですが、念のため。」
四条先生の原稿に対して藤岩が指摘した内容です。自分の指摘を四条先生のように好意的に受け入れてもらえれば校閲者冥利につきますが、場合によっては「余計なお世話だ!」と怒る作家さんもおられるかもしれません。
第1話で、悦子は本郷大作先生(鹿賀丈史)の作品に「女子高生の口調が古くさくありえない」と指摘していました。幸いこのときも「おもしろい」と喜んでもらえましたが、実際には校閲者がこのような指摘を入れるかどうかの判断や、入れる場合の文言にはかなり気を遣います。
校閲は一方的にだめ出しをするのではありません。作者の思いを尊重し、よりよい作品になるように、セーフティネットとして「念のため」指摘をするのです。
藤岩の指摘にはそうした配慮がにじんでおり、さすがベテランと思わせるものでした。一方、編集者の貝塚(青木崇高)は相変わらず校閲の内容を確認せずに作家に渡しているのでしょうか? 少しヒヤヒヤしてしまいます……。
好きだからできる! と言いたい仕事
藤岩が景凡社に入ったのは「四条先生の担当になれるかもというかすかな期待があったから」、米岡も「本が好きで出版社に入ったクチ」です。実際の校閲者も本が好きな人がとても多く、それだけに校閲という仕事で作品と向き合うことにはいろいろな思いがあるでしょう。
好きだからこそ担当しない姿勢を貫いてきた藤岩にも、好きだからこそできることがあると信じる悦子にも、視聴者は感情移入し、それぞれ思うところがあったのではないでしょうか。校閲だけではなく、いろいろな仕事に通じるところもあるため、ご自身の仕事に置き換えて考えられたと思います。
あくまでファッション誌編集者が目標の悦子ですが、校閲部屋に印刷会社の営業担当者が無神経に大声を出して入ってくるのに眉をひそめる悦子は、着実に立派な校閲者へのステップを歩んでいるように思えます。
また、いい意味で空気を読まずに突進する悦子によって、チームワークが築かれていき、校閲部メンバーに笑顔が生まれているのも毎回印象的です。次回も楽しみですね。
以上、仲介手数料が最大無料の不動産会社の校閲担当、高尾でした。
(高尾ありさ)