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穗坂 一也(宅建士)

売りたい、買いたいのお手伝いをさせて頂きます。

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公開日:2024年9月25日

こんにちは。不動産売買の仲介手数料が【割引・最大無料】のREDS、宅建士の穗坂一也(ほさか かずや)です。

今回は、横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸、接続が2030年を目標に進められている小田急線『新百合ヶ丘(しんゆりがおか)』駅周辺の住環境、歴史と今後について解説していきます。

新百合ヶ丘駅

(写真はイメージです)

新百合ヶ丘駅の立地

新百合ヶ丘駅は川崎市麻生区に位置する小田急電鉄の駅です。急行、快速急行すべての速達列車の停車駅で、新宿駅へは快速急行で4駅、所要時間20分ほど、急行でも7駅、所要時間30分前後で到着、東京メトロ千代田線とも直通運転をしており、赤坂、霞が関、大手町など都心部へのアクセスも良好な立地です。

かつては朝の通勤通学時間帯の混雑率は大変なものでしたが、1989(平成元)年に始まり平成のほとんど約30年をかけ、2018年度に代々木上原駅~登戸駅間の複々線化事業(東京都の都市計画事業である連続立体交差事業と並行して実施)が完了しました。

これにより列車の増発、各駅停車と急行が別々の線路を走ることができるようになり、混雑緩和、所要時間の短縮が図られました。

新百合ヶ丘駅周辺の歴史

小田急線自体は1927年に新宿駅から小田原駅まで開業していましたが、新百合ヶ丘駅自体は1974(昭和49)年開業と比較的歴史は浅い駅です。多摩ニュータウン方面へ向かう同日開業の小田急多摩線の分岐駅として開業しました。

開業当初の新百合ヶ丘駅周辺は雑木林が広がる自然豊かな丘陵地で、駅前広場への進入路も未整備な状況でした。1977年から始まった土地区画整理事業により、現在のような商業施設や住宅地の整備が始まりました。

1983年度には新百合ヶ丘駅周辺地区が川崎市の新都心として位置づけられ、川崎市北部の行政の中心地としての発展が始まり、1984年度に土地区画整理が完了、駅前商業施設や住宅地の整備が急速に進みました。

1980年代から1990年代にかけ新百合ヶ丘駅周辺には大型商業施設が次々とオープン、新百合ヶ丘オーパや新百合ヶ丘エルミロードなどのショッピングモールが開業し、多くの買い物客でにぎわうようになり、映画館や劇場などの文化施設も充実、地域住民だけでなく、周辺地域からも多くの人々が訪れるようになりました。

新百合ヶ丘は駅前に大型商業施設がありながらも、駅から少し離れると閑静で治安のよい住宅街が広がる人気のエリアとなっています。

横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸

発展を続けている新百合ヶ丘駅周辺ですが、横浜・新横浜方面から北上し横浜市青葉区にある東急田園都市線あざみ野駅につながる横浜市営地下鉄(ブルーライン)がさらに北西に延伸、新百合ヶ丘駅南口に接続する延伸計画が 2019年に横浜市と川崎市より発表されています。

整備延長は約6.5km、中間には3つの新駅を設置、開業目標は2030(令和12)年とされています。また、2020(令和2)年に概略ルート、駅位置が発表されています。これによると新駅が設置される予定地は以下のとおりです。

  • あざみの駅から最も近い延伸1駅目になる新駅は、横浜市青葉区の「嶮山(けんざん)」付近
  • 2駅目の新駅予定地は横浜市青葉区の「すすき野」付近
  • 3駅目の新駅予定地は、川崎市麻布区王禅寺地区の東端にあるスポーツ施設「ヨネッティー王禅寺」付近

現在は上記概略ルート・駅位置を対象とした、環境影響評価手続きの実施に向けた準備が進められているそうです。

横浜市営地下鉄ブルーライン延伸の効果

横浜市営地下鉄ブルーラインの新百合ヶ丘駅への延伸にはいくつかの効果が期待されています。主な効果を5つ挙げます。

交通利便性の向上

現在、あざみ野から新百合ヶ丘の間は鉄道空白地帯、主な交通手段は路線バスとなっていますが、横浜市北部や川崎市北部、多摩地域から新横浜駅や横浜駅へのアクセスが大幅に改善されます。これにより、通勤・通学の利便性が向上し、地域住民の移動がよりスムーズになります。

鉄道ネットワークの拡充

新百合ヶ丘駅への延伸は、既存の鉄道ネットワークを強化し、広域的な交通利便性を向上させます。特に、新幹線の新横浜駅へのアクセスが向上することで、全国的な移動も便利になります。

地域の活性化

新駅の設置により、駅周辺のまちづくりが進み、商業施設や住宅地の開発が促進されます。これにより、地域全体の経済活動が活発化し、住民の生活環境が向上します。

渋滞緩和

新駅の設置により、バスや自動車に依存していた地域の交通が分散され、道路の渋滞が緩和されることが期待されます。

災害時の代替経路確保

延伸により、災害時の輸送障害発生時における代替経路が確保されます。これにより、緊急時の対応力が強化され、地域の安全性が向上します。

まとめ

このように、横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸は、交通利便性の向上や地域の活性化など、多くの面で地域社会に貢献することが期待されています。これに伴い、新百合ヶ丘駅周辺地域の注目度がますますアップしてくことが想定されます。

豊かな自然が身近で利便性に優れ、今後の発展も見込まれている新百合ヶ丘駅周辺エリアで住まいをお探しの方、住まいのご売却をご検討の方はぜひ、不動産流通システムREDSまでご相談ください。

 

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公開日:2024年8月14日

こんにちは。不動産売買の仲介手数料が【無料・割引】のREDSエージェント、宅建士の穗坂一也(ほさか かずや)です。今回は土地区画整理事業により道路の整備やマンション・商業施設の建設が進められ、注目を集めるようになってきた登戸駅・向ヶ丘遊園駅周辺の住環境、歴史と発展について解説していきます。

登戸駅

(写真はイメージです)

登戸駅の立地

登戸駅・向ヶ丘遊園駅は、東は東京湾に面した京浜工業地帯のある川崎区から、西は東京都町田市、多摩市などに接し自然豊かな麻生区まで多摩川に沿って東西に長い川崎市の中でも西寄り、自然豊かな多摩区に位置します。

東京都との県境にあたる多摩川が近くを流れ、東京・神奈川それぞれの主要都市にアクセス抜群でありながら周囲に多くの自然が残る駅、周辺環境です。

登戸駅は小田急線とJR南武線の2路線が交差する駅。小田急線では新宿方面、町田、藤沢方面へ、JR南武線では川崎・武蔵小杉、立川へのアクセスが良好です。

駅周辺地域の歴史

江戸時代、江戸と相模の国を結ぶ「津久井道」では、周辺の名産である禅寺柿や黒川炭、津久井の絹、また多摩川上流から流される木材や海路からの石材などが運ばれ、多くの人々が往来する街道でした。

そんな「津久井道」の宿場町として発展した「登戸宿」。登戸はこのころから交通の要衝としてにぎわっていたそうです。

明治期から昭和初期にかけて、同じ川崎市の臨海部から武蔵小杉にかけては工業化が進みましたが、登戸駅周辺は農村風景が広がっていました。

昭和の戦前期、1927年に南武鉄道(現・JR南武線)、川崎駅~登戸駅間が開通しその終着駅としてJR登戸駅は始まり、同年に小田原急行(現・小田急電鉄小田原線)、新宿駅~小田原駅間が開通、小田急線の登戸駅が開業しました。

ちなみにその隣駅、小田急線に乗って1~2分、歩いても10分とかからない向ヶ丘遊園駅も同年に開業しています。

戦前から戦後、昭和、平成から令和の現在に至るまで時代が流れても駅周辺は住宅地としての利用が多く、工場跡地などのまとまった土地がなかったため、再開発の余地がなかったこともあり、のどかな街並みが続いていました。

周辺環境について

周辺環境として一番に思い浮かぶのが向ケ丘遊園地です。向ヶ丘遊園駅開業と同時に、当初は自然公園として開園。向ヶ丘遊園駅からモノレールに乗り、向ヶ丘遊園駅正門に到着、園内にはジェットコースター、観覧車など遊園地らしいアトラクションは一通りそろい、夏はプール、冬はアイススケートリンクが家族連れなどでにぎわっていましたが、惜しまれながら2002年に閉園しました。

周辺には、多摩丘陵の自然をそのまま生かした緑豊かな生田緑地があり、緑地内にはプラネタリウム併設のかわさき宙(そら)と緑の科学館、岡本太郎美術館等などがあります。藤子・F・不二雄ミュージアム(ドラえもんミュージアム)も徒歩圏です。

前述の向ヶ丘遊園跡地の再開発計画もあるそうです。また、専修大学生田キャンパスの最寄り駅でもあるため、学生が多いのも特徴です。

登戸駅、向ヶ丘遊園駅周辺の現在とこれから

そんな登戸駅・向ヶ丘遊園駅周辺ですが、現在大きく変化しています。進んでいる再開発事業を紹介します。

登戸土地区画整理事業

登戸駅から向ヶ丘遊園駅北側にかけて約37.2haのエリアでは土地区画整理事業が進んでいます。

この事業は、幹線道路や区画道路、駅前広場といった主要な基盤施設の整備や3つの公園の新設などを中心とした総合的な土地利用と、川崎市北部の中心的な商業地区として商業やオフィス機能の強化、および安全で快適な市街地の形成を目的とした事業です。

1988年に川崎市によって事業計画が決定した本事業ですが、移転・用地買収に時間を要したため、事業施工期間を延長、2026年の事業完了をめざして整備が進んでいます。

(仮称)登戸駅前地区第一種市街地再開発事業

登戸駅前では(仮称)登戸駅前地区第一種市街地再開発事業が2023年11月に都市計画決定され、登戸駅前地区市街地再開発準備組合(川崎市多摩区)が、登戸駅前に地上38階、地下1階、高さ約140m、総戸数約450戸のタワーマンションを新設します。

2025年度の権利変換計画認可を経て着工する予定で、2028年度の竣工を目指しています。

この事業は川崎市が施行している前記の「登戸土地区画整理事業」区域内90街区の一部において、約0.6haの区域を一体的に整備する再開発事業です。

計画されている建物の低層部にはにぎわいを創出する商業機能、高層部には都市型住宅を整備するほか、駅と街をつなぐ歩行者デッキや多世代の多様な利用ニーズに対応した魅力的なオープンスペースの整備が予定されています。

土地区画整理事業と市街地再開発事業の違い

土地区画整理事業は、地権者からその権利に応じて少しずつ土地を提供してもらい、この土地で、道路・公園などの公共施設を整備・改善し、土地の区画を整え土地の利用の増進を図る事業です。

一方、市街地再開発事業は、市街地内の建築物が密集している地区などで、敷地を統合し高度利用(上に伸ばす)することで、共同建築物の建築・道路・公園などの公共施設を整備する事業です。従前の土地権利者の権利は、新しい再開発ビルの床に置き換えられます。

土地区画整理事業は「面」で行うことに対し、市街地再開発事業は「空間」で行います。その効果は、いずれも街の安全性、快適性、利便性を向上させ、街の活性化、魅力を向上させることにあります。

登戸駅周辺と向ヶ丘遊園駅周辺とで一体化した開発が進行中で、今後数年で整備完了予定、豊かな自然が身近なこのエリアで住まいをお探しの方、住まいのご売却をご検討の方はぜひ、不動産流通システムREDSまでご相談ください。

 

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公開日:2024年7月6日

こんにちは。不動産売買の仲介手数料が【無料・割引】のREDSエージェント、宅建士の穗坂一也(ほさか かずや)です。今回取り上げるのは武蔵小杉駅です。

武蔵小杉駅は、東は東京湾に面した京浜工業地帯のある川崎区から、西は東京町田市・多摩市などに接し自然豊かな麻生区まで、東西に長い川崎市の中でもその中間にある中原区に位置します。JR南武線・横須賀線・湘南新宿ラインと東急東横線・目黒線が交差するターミナル駅です。

品川・新宿方面、横浜方面、川崎方面、および東横線・目黒線と直通運転をしている、各方面へのアクセスが良好で交通利便性のいい立地です。そんな武蔵小杉駅の歴史と発展、これからの展望について解説します。

武蔵小杉駅

(写真はイメージです)

武蔵小杉駅の歴史

武蔵小杉駅の歴史は、昭和2(1927)年に南武鉄道が登戸駅周辺から川崎の工業地帯へ多摩川の砂利を運搬する目的で川崎駅~登戸駅間を開通したことに始まります。当初は「グラウンド前停留所」と呼ばれていましたが、昭和19(1944)年に南部鉄道が国有化され、前記の「グラウンド前停留所」が「武蔵小杉駅」に改称されました。

相前後して昭和14(1939)年に東急電鉄が府中街道と東急東横線の交差する場所に「工業都市駅」を開業、昭和20(1945)年に南武線との交差点に東急電鉄の「武蔵小杉駅」を開業、昭和28(1953)年に、近い距離にあった工業都市駅が武蔵小杉駅に統合され、現在に至ります。

その後、武蔵小杉駅はさらに発展を遂げ、平成12(2000)年には東急目黒線が乗り入れ、平成22(2010)年にはJR横須賀線・湘南新宿ラインの新駅が開業。さらに、令和元(2019)年にはそのJR線が相鉄線と相互直通運転を開始、令和5(2023)年には東横線が相鉄線との相互直通運転を開始し、より多方面へアクセスしやすい交通の拠点として発展を続けています。

武蔵小杉駅周辺の歴史

武蔵小杉駅付近には東京都と川崎・横浜を結ぶ中原(なかはら)街道があります。中原街道は相模国(現在の神奈川県)と江戸を結ぶ歴史のある街道で、相模国から丸子の渡しで多摩川を渡り江戸へ至ります。

江戸時代に入り、現在の平塚市に徳川家康が設けた「中原御殿」と江戸を結ぶルートとして徳川幕府により整備されて以降、「中原街道」と呼ばれるようになり、東海道の裏ルートとして交通の便に供されました。

現在の地名にも小杉陣屋町、小杉御殿町といった地名が存在しています。小杉御殿町は、江戸時代初頭に中原街道上に設置された徳川将軍家の宿泊地である「小杉御殿」があったことに由来し、小杉陣屋町は、行政の中心施設として陣屋(大名領の藩庁が置かれた屋敷)が置かれたことに由来するそうです。

武蔵小杉駅周辺地域の発展

明治末期から昭和の初めまでは川崎の工業は臨海地域で発達していましたが、昭和10年代になると、軍需を担う電気通信機器・精密機械などの多くの工場が南武鉄道沿い、すなわち川崎駅周辺から現在の武蔵小杉一帯に進出し、京浜工業地帯の一角を担う一大工場地域となりました。

昭和30年代になると、武蔵小杉駅周辺のグラウンドや農地も、住宅や商業地、工場に変わり始めました。その後、武蔵小杉駅周辺は高い交通利便性を持ちつつも開発の余地があったため、住宅地が開発され、多くの工場労働者や乗り換え客などが集まる活気のある商業地・繁華街として発展しました。

昭和60年代から平成初期にかけ、工場の事業所統合や海外移転が相次ぎ、駅周辺に大規模な空地が生まれます。これを機に川崎市によって規制緩和(川崎市の都市計画、市街地再開発事業に基づいた職住近接の都市型住宅等の再開発計画)が進められ、大手デベロッパーが参入、タワーマンションなど住宅を含めた複合的な再開発が始まりました。

平成19(2007)年頃から次々にタワーマンションの建設が進み、大型商業施設の開業や500mほど離れた位置にあるJR横須賀線・湘南新宿ラインの武蔵小杉駅開業などをきっかけに駅周辺の整備も活発化し、現在も住宅の建築計画は進み続けています。その結果、現在では高層マンションが林立する街へと変貌を遂げました。

武蔵小杉駅周辺の住環境について

武蔵小杉駅には東急東横線・東急目黒線やJR南武線などが乗り入れており、各主要駅への交通アクセスがいいことから交通の利便性が高く評価され、駅周辺は東京のベッドタウンとして人口が増え続けてきました。

駅周辺には大型商業施設が複数あり、買い物環境が充実しているほか、駅直結の「中原図書館」や駅から徒歩約5分の場所にある「中原区役所」など、公共施設もそろっています。住みたい街ランキングでも上位に位置し、エリアの人口は年々増加しているため、朝晩の通勤通学時間帯の電車の混雑には少々覚悟が必要かもしれません。

駅周辺はタワーマンションが林立しているイメージがありますが、駅から10分も歩くと戸建てやアパート、低層マンションが立ち並ぶ落ち着いた街並みとなります。JR南武線の隣駅の武蔵中原駅、東横線目黒線の隣駅の元住吉駅周辺も含めた戸建てエリアも人気が出てきています。

また、武蔵小杉駅から少し離れると広大な多摩川河川敷が広がり、お散歩・ジョキングコース、サイクリングコース、野球場、グラウンド、ゴルフ練習場などは市民の憩いの場となっています。また、Jリーグ「川崎フロンターレ」の本拠地である等々力競技場などが整備された「等々力緑地公園」も徒歩圏にあります。

武蔵小杉駅周辺のこれから

川崎市は「都市計画マスタープラン小杉駅周辺まちづくり推進地域構想」を策定し、将来のまちづくりの方向性を示し、新たな開発計画等を適切に誘導、支援しています。

これらの上位計画に基づき、川崎市は民間活力を生かした計画的かつ段階的なまちづくりに取り組み、先端技術を中心とした研究開発・生産機能の高度化を図るとともに、ユニバーサルデザインに配慮しながら駅前広場、道路等の公共施設を整備改善し、商業・業務・文化交流・医療・文教・都市型居住等の機能を集積させた「歩いて暮らせるコンパクトなまちづくり」を推進しています。

これらの取り組みにより、武蔵小杉駅周辺は、これからも交通の利便性と住みやすさを兼ね備えた魅力的な街へと発展、グレードアップしています。このエリアで住まいをお探しの方、住まいのご売却をご検討の方はぜひ、不動産流通システムREDSまでご相談ください。

 

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公開日:2024年5月28日

こんにちは。不動産売買の仲介手数料が【無料・割引】のREDSエージェント、宅建士の穗坂一也(ほさか かずや)です。今回は京急空港線沿線の歴史と地域の不動産事情について解説します。

京急蒲田駅

(写真はイメージです)

京急空港線について

東京のみならず日本の空の玄関口である羽田空港と都心を結ぶ京急空港線。東京都大田区の京急蒲田駅と羽田空港第1・第2ターミナル駅を結ぶ、京浜急行電鉄(京急)の鉄道路線、羽田空港を利用される際に京急空港線を利用される方も多いと思います。

「快特」「特急」を使って品川駅から京急蒲田駅まで10分前後、横浜駅から京急蒲田駅まで15分前後と利便性のよい立地です。京急空港線と路線名はついていますが、品川方面、横浜方面、いずれも京急本線から空港線に分岐する京急蒲田駅での乗り換えなく羽田空港始発・終点の電車が往来しており、基本的に京急蒲田駅~羽田空港第1・第2ターミナル駅間のみを往復する電車はありません。

京急空港線の歴史

1902年に開業した京急空港線の前身である穴守線は、現在の羽田空港B滑走路南端付近にあった穴守稲荷神社へのアクセス路線として京浜電気鉄道(当時)により建設され、参詣路線として広く利用されました。

時は流れて戦後の1956年に穴守線は延伸され、羽田空港駅が開業しました。この羽田空港駅は、空港施設こそ目の前に見えるものの、旅客ターミナルからは直線距離で1km弱あり、羽田空港へのアクセス手段は、リムジンバスの東京空港交通や東京モノレールが担っていました。

1963年に路線名を空港線に改称したものの、その名前とは異なりローカル線としての扱いでした。1998年に空港線は羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)へと延伸し、名実ともに空港アクセス路線となりました。

京急蒲田駅の開発、踏切渋滞解消

かつての京急蒲田駅は地上2面3線のローカル駅でした。お正月の箱根駅伝でも頻繁に取り上げられる京急空港線と交差する国道15号線、および京急本線と交差する環状8号線を頻繁にふさぐ「開かずの踏切」は慢性的な交通渋滞を引き起こし、地域の分断にもつながり社会問題となっていました。

付近を車で通る際には、かなり早めに出発しないと交通渋滞で時間が読めないような状況でしたが、京急蒲田駅付近の連続立体交差事業により2012年にかつての手狭だった駅は地上3階建ての駅へと生まれ変わりました。これに伴い踏切がなくなり、かつての慢性的な交通渋滞・地域の分断も解消され現在に至ります。

沿線の街並みの住みやすさ

京急空港線に住むメリットを考えてみました。

交通利便性と商業施設

前述のとおり羽田空港へのアクセスが良好で、品川や横浜へのアクセスも便利です。

糀谷(こうじや)駅前からは昔ながらの商店街があり、八百屋さんなども元気に営業中です。このほか、マルエツ新糀谷店、サミット大田大鳥居店、ホームセンターコーナン、この他複数のスーパー、商業施設が点在しています。

自然環境

京急空港線各駅から1kmほどの多摩川の土手は緑地として整備されており、少年野球や少年サッカーなどでにぎわっています。お散歩やジョギング、サイクリングをする人もたくさんいます。

また、区立萩中公園には小さなお子様の自転車練習に最適な児童交通公園のほか、屋内・屋外プール(有料)や野球場2面(有料)が備わっていて、こちらも平日週末を問わずにぎわっています。

沿線の住環境

糀谷駅周辺はかつてより住宅地として利用されていたため、現在も戸建て住宅が建ち並ぶ地域となっています。このエリアの主な大規模マンションをご紹介します。

●オーベルグランディオ萩中:糀谷駅徒歩5分、2006年築、18階建て、総戸数534戸
●ステーションツインタワーズ糀谷フロント:糀谷駅徒歩1~2分、2016年築、20階建て、総戸数335戸(2棟合計)

また、糀谷駅から南側多摩川方面に向かっておおむね徒歩10分を超えた地域、および大鳥居駅から通称産業道路より東側羽田空港方面の地域は工場が点在するエリアとなっていますが、近年は時代の流れとともに工場が移転・撤退、その跡地はマンションが建ち並ぶ地域となっています。

沿線地域の建築物と航空法

京急空港線沿線の地域は羽田空港と密接なつながりがあるとともに、羽田空港の影響も受けています。

沿線の地域は羽田空港からの直線距離が近いため『航空法』による建築物の高さ制限により、羽田空港に離発着する航空機の運行に支障を及ぼす高さの建築物を建築することができません。そのため沿線地域では30階建て、40階建てといったタワーマンションやビルはみられず、概ね20階建てくらいまでとなっています。

京急空港線の未来と蒲蒲線

高架化事業を終えた現在の京急蒲田駅と京急空港線ですが、次のプロジェクトとして東急多摩川線が蒲田駅周辺で地下化、延伸し京急蒲田駅で乗り換えできるようにする「蒲蒲線」構想があり、大田区と東急電鉄を整備主体とする第三セクターにより事業化に向けた検討が進行中です。

京急蒲蒲線(新空港線)は、東急多摩川線矢口渡駅の近くから多摩川線を地下化し、JR・東急蒲田駅の地下と京急蒲田駅の地下を通って、大鳥居駅の手前で京急空港線に乗り入れる計画です。この新路線は、約800m離れている東急蒲田駅と京急蒲田駅を結び、最終的には羽田空港への乗り入れを目指しています。総距離は3.1kmで、事業は2段階で進められます。

第1期事業は矢口渡~京急蒲田間で、途中に東急蒲田駅と京急蒲田駅を地下に建設します。第2期事業として京急蒲田~大鳥居間が整備に向けて検討されます。約800mのJR・東急蒲田駅~京急蒲田駅間を鉄道で結ぶことで、大田区内の東西方向の移動、羽田空港へのアクセスが便利になり、さらには東急線各路線との相互直通運転も検討されています。

これに伴い、京急空港線沿線の地域のグレードアップや街の魅力向上、不動産価値の向上も予想されます。このエリアで住まいをお探しの方、住まいのご売却をご検討の方はぜひ、REDS穗坂までご相談ください。

 

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公開日:2024年4月20日

こんにちは。不動産売買の仲介手数料が【無料・割引】のREDSエージェント、宅建士の穗坂一也(ほさか かずや)です。今回は大井町駅周辺と不動産事情について解説します。

大井町駅

(写真はイメージです)

大井町駅の立地と概要

大井町駅は東京都品川区大井一丁目にあるJR東日本・東急電鉄・東京臨海高速鉄道(りんかい線)の駅です。

JR東日本の大井町駅は、1901年に国有鉄道東海道本線の大井聯絡所(連絡所)として開設され、1914年に京浜線(現在の京浜東北線)と開業をともにしました。

東急大井町線は、1927年に目黒蒲田電鉄(現在の東急電鉄)大井町線として部分的に開通、分譲地の販売が好調であったことから、1929年に大井町〜大岡山間が、1930年に大井町〜二子玉川間が開通、現在は田園都市線に乗り入れ溝の口駅間を往復する路線となっています(1時間に数本ペースで田園都市線長津田駅行き、中央林間駅行きがあります)。

2002年12月には東京臨海高速鉄道(りんかい線)大井町駅が開業し、3社3路線が乗り入れ相互間の接続駅となっています。ちなみに大井町駅は、東急大井町線とJR京浜東北線の改札口が地上にありますが、りんかい線の改札口は地下1階に位置しています。

りんかい線ホームは二重構造

りんかい線のホームは二層構造となっており、地下3階が大崎方面行き、地下5階が新木場方面行きとなっており、地上からりんかい線のホームにたどりつくまで複数回エスカレーターに乗って下る必要があるため、乗換時間には注意が必要です。

これは大井町駅が東京多摩地域から東西に長く続く海抜高度の高い武蔵野台地の東端部に位置しており、りんかい線が海抜20m弱の大井町駅から東側に新木場駅方面に向け、海抜数mの品川シーサイド駅、天王洲アイル駅の地下、および東京湾下を経由してお台場方面へ向かうため、このような高低差のある駅構造になっているのです。

ちなみに大井町駅は羽田空港まで直線距離で6~7kmほどです。2020年に新飛行経路の運用が開始されて以降、大井町駅周辺は着陸前の高度を下げた飛行機が比較的間近に見えるスポットになっています(垂直尾翼のエアラインマークが視認できます。個人的には騒音は全く気になりません)。

前述のとおり、この大井町駅周辺より西側の立地は、品川駅~大井町駅~大森駅の各駅を結ぶラインを境にして西側に台地が広がっており、比較的海抜高度が高く起伏の少ない平坦な地形です。関東ローム層と呼ばれる火山灰土で覆われており、自然堆積したローム土は安定しているため、比較的地盤強度が期待でき、住宅地盤として良好とされています。

労働者の街から副都心へ

大井町はかつて、城南地区の下町でした。1970年代になっても国鉄の駅舎西側(阪急百貨店側)の出口周辺には小さな飲み屋さんが軒を連ねていました。

JR東日本の駅舎は1993年にアトレ大井町となり東西自由通路もできましたが、品川区のほかの地域がそうであるように、大井町駅周辺もかつては国鉄大井工場(現・東京総合車両センター)や日本光学工業(現・ニコン)本社工場など大規模な工場が軒を連ねる工業地帯でした。大工場の周辺には住宅やアパートや社宅が立ち並び、商店街も繁栄。多くの人が働く工場は地域に欠かせない存在で労働者の街でした。

現在、大井町駅徒歩圏にはシティタワー大井町(2019年築、29階建、総戸数635戸)、シティテラス大井仙台坂ヒルトップガーデン(2012年築、23階建、総戸数132戸)、ブリリア大井町ラヴィアンタワー(2012年築、28階建、総戸数283戸)、クレヴィアタワー大井町ザレジデンス(2020年築、21階建、総戸数136戸)などの大規模マンションが立ち並びます。

複合商業施設「阪急大井町ガーデン」、駅ビル「アトレ大井町」、「LABI LIFE SELECT 品川大井町(ヤマダ電機)」、「イトーヨーカドー大井町店」などもあって洗練された街並みとなっていますが、駅徒歩1分で昭和レトロの香り漂う広さ2~3坪の小さな飲み屋が40軒近くひしめき、明るい時間から赤提灯が灯るのんべえ横丁「東小路飲食店街」が健在です。

大井町駅周辺の不動産開発と再開発

そんな大井町駅周辺ですが、大井町駅前では大井町駅と品川区役所、および山手線等の操車場に隣接したJR東日本の敷地の一部(かつて国鉄~JR東日本の社宅があり、2021年まで劇団四季専用劇場「夏」がありライオンキングなどを上演していた場所)に再開発計画「大井町駅周辺 広町地区開発計画」が2024年4月現在進行中、工事着手されています。

地上23階地下4階建のオフィス棟、地上26階地下2階建の賃貸住宅・ホテル棟(低層部に店舗、中層部に285室のホテル、高層部に290戸の賃貸住宅)が建設されるA1地区、駅前広場約4600㎡の芝生広場、商業施設、駐車場があるA2地区が整備されることになります。

この再開発事業地に隣接した敷地には品川区役所新庁舎の建設工事も始まります(地上14階建、2025年着工、2027年竣工予定)。

現在も注目されている大井町駅周辺ですが、現在進行中の街のグレードアップにも注目です。

 

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公開日:2024年4月4日

REDSエージェント、宅建士の穗坂一也です。

武蔵小山駅は東京都品川区小山3丁目にある東急目黒線の駅です。武蔵小山駅は品川区に立地していますが、駅の西側に隣接する都立小山台高校を過ぎると目黒区目黒本町に入ります。「武蔵小山エリア」という視点で見ると、品川区だけでなく目黒区にもまたがるエリアといえます。今回はこの武蔵小山駅周辺の不動産事情について解説します。

武蔵小山

(写真はイメージです)

武蔵小山駅の歴史

武蔵小山駅の駅名の由来からお話しします。小山八幡神社(現在の荏原7丁目)が小高い山の上にあったことから、小山という地名がついたとされています。一方、この近辺が小高い山であることに由来する「小山」が語源とする説もあるそうです。

1923年に目黒蒲田電鉄(現在の東急目黒線)の駅として「小山駅」が開通しましたが、同名駅がすでに東北本線に設置されていたため、旧国名「武蔵」を冠して翌1924年に「武蔵小山」という名へ改称されました。

ちなみに目黒蒲田電鉄は東急電鉄創業のきっかけとなった路線です。明治の実業家、渋沢栄一が「田園都市構想」を掲げて洗足、多摩川台地域を宅地開発します。その地域から都心へ向かうアクセス路線として目黒蒲田電鉄を設立、1923年3月に目黒駅~丸子(現・沼部)駅間が、次いで同年11月1日に蒲田駅まで開通しました。時が流れて沿線一帯は住宅地化が進みましたが、どこかのどかな街並み、雰囲気が漂う街並みが広がっていました。

そんな目蒲線が2000(平成12)年に東横線の複々線部分を武蔵小杉駅まで走る東急目黒線(2008年に日吉駅まで延伸)と東急多摩川線に分割、武蔵小山駅は東急目黒線の駅となり、併せて目黒駅より都心方面へ向けて東京メトロ南北線と都営三田線の相互直通運転が開始、都心方面へのアクセスが便利になりました。

2006(平成18)年には駅の地下化工事が完了し、地上1面2線から地下2面4線に移設され現在に至ります。目黒線の地下化事業は、都市計画道路補助第26号線整備事業の一環として実施、これにより目黒駅付近から洗足駅付近にかけて約2.8kmの区間が道路と立体交差化され、武蔵小山駅前の開かずの踏切を横切る補助26号線の慢性的な交通渋滞が解消されました。

2023年には東急新横浜線が開業し、相鉄新横浜線との相互直通運転も開始されています。

武蔵小山エリアの住環境

武蔵小山商店街パルム

駅の地下化、東急目黒線の誕生から始まる街の再開発によって利便性が向上し、「住みたい街」としても人気が高まっている武蔵小山。武蔵小山駅は目黒、大手町、永田町、日比谷へ1本という利便性の高さも人気の理由のひとつですが、駅周辺には2009年に駅前広場とバスロータリーができ、2010年に駅ビルが開業、駅前再開発によって2019年に誕生した商業施設(パークシティ武蔵小山THE MALL)に加え、全長800mある商店街「武蔵小山商店街パルム」、歴史ある温泉施設「清水湯」など、活気ある周辺環境も人気のポイントです。

住民の憩いの場、お散歩コース、ジョギングコースとなっている都立林試の森公園をはじめとした豊かな自然景観がある点も「住みたい街」に選ばれる理由といえます。

昭和31(1956)年にオープンした「武蔵小山商店街パルム」は完成当時「東洋一」と称えられ、現在も東京で最も長いアーケード商店街として知られています。アーケードに並ぶお店は約200店舗以上あり、飲食店や雑貨、服飾などバラエティ豊かなお店が立ち並び、雨の日でも傘をささずにショッピングが楽しめます。年間を通じてさまざまなイベントも開催され賑わっています。昔ながらの八百屋さん、パン屋さん、焼鳥屋さんなども元気に営業中。武蔵小山駅前を始端とすると中原街道まで至って終端となりますが、中原街道を越えるとすぐに今度は全長1.3km、都内最長の商店街である戸越銀座商店街につながります。

2019年にオープンしたパークシティ武蔵小山THE MALLは武蔵小山の新たな複合商業施設です。また、駅と直結するショッピングモールのetomo(エトモ)武蔵小山にはスイーツショップやベーカリー、無印良品、東急ストアなどが入っています。このほかオオゼキ武蔵小山店、ライフ武蔵小山店などの普段使いのスーパーマーケットも駅徒歩5分圏内にあります。

武蔵小山の不動産の特長

駅前には市街地再開発事業とし整備、建設されたパークシティ武蔵小山ザ・タワー(2019年築、地上41階建、総戸数628戸)、シティタワー武蔵小山(2021年竣工、地上41階建、総戸数506戸)の高層マンションが昔ながらの住宅、商店街と近接して立ち並んでいます。シティタワー武蔵小山には品川区役所の支所である荏原第一地域センターと荏原第一区民集会所も入っており、各種届出や住民票、マイナンバーカードの発行などに対応しています。

これらの大規模マンションは大規模な工場跡地を利用して建設されたマンションではなく、駅前の歴史ある商業地・住宅地の再開発事業として建設されたため、高層マンションが林立しておらず、新しい街並みと昔ながらの街並みが調和した住環境となっている点が特長といえます。

武蔵小山駅周辺は、2023年には東急目黒線と相鉄線の直通運転が開始され、新横浜へのアクセスなどの利便性も高まり、ますます発展が期待される注目エリアです。前記の再開発事業に続き、複数の市街地再開発事業が事業化に向けて検討が進められているそうです。

今後、新たにタワーマンションの建築予定や周辺の整備など、街のグレードアップが検討されていて、人気向上に伴う人口増加や街の付加価値アップが予想されています。

 

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公開日:2024年3月26日

REDSエージェント、宅建士の穗坂一也です。

東急多摩川線「鵜の木駅」「下丸子駅」「武蔵新田(むさしにった)駅」は、東京都大田区の多摩川に沿って走る東急多摩川線の中間駅です。今回は、この3駅周辺の歴史と不動産事情について解説します。

鵜の木駅周辺

(写真はイメージです)

駅の歴史

東急多摩川線の前身である目蒲線は東急電鉄創業のきっかけとなった路線です。明治の実業家で次の1万円札の肖像にも選ばれた渋沢栄一が「田園都市構想」を掲げて洗足・多摩川台地域を宅地開発し、その地域から都心へ向かうアクセス路線として目黒蒲田電鉄を設立、開通させました。

時が流れて沿線一帯は、住宅地化が進んでも、のどかな雰囲気が漂う沿線の街並みでした。

そんな目蒲線は2000(平成12)年に東急目黒線と東急多摩川線に分割。鵜の木・下丸子・武蔵新田駅は東急多摩川線の駅となり、蒲田駅~多摩川駅間を往復する3両編成、各駅停車の路線となりました。

多摩川線の始点終点となっている多摩川駅と蒲田駅を除きすべての中間駅において、上下線ホーム、および改札が分離されており、両ホームを連絡する跨線橋、地下通路などがなく、駅構内でホーム間を往来できない駅構造です。

工場地からマンションタウンに

下丸子駅、武蔵新田駅周辺は戦時期に軍需産業地帯として発展。戦後は多摩川沿いに三菱重工業の自動車工場、キヤノンカメラ、日本精工、三井精機など日本を代表する大企業の工場が立ち並びました。

これらの工場は、当時としては技術の最先端でしたが、時代の流れとともに次々と撤退。跡地は新たな住宅用地・大規模マンション用地などに生まれ変わりました。現在、周辺は大規模な高層マンションが立ち並ぶ地域となっています。

このエリアの主な大型分譲マンションを紹介します。

昭和末期から平成初期の大型分譲マンション

  • 東急ドエルアルス多摩川:武蔵新田駅 徒歩13分、1987年築、総戸数461戸
  • 多摩川ハイム:武蔵新田駅 徒歩11分、1981年築、総戸数272戸
  • パークハウス多摩川:鵜の木駅 徒歩7分、総戸数575戸

平成中期の大型分譲マンション

  • シエルズガーデン:下丸子駅 徒歩12分、2003年築、総戸数486戸
  • ブラウトリエ:下丸子駅 徒歩9分、2003年築、15階建、総戸数428戸
  • 東京サーハウス:下丸子駅 徒歩11分、2003年築、15階建、総戸数758戸
  • ザ・リバープレイス:下丸子駅 徒歩8分、「鵜の木」駅徒歩10分、2004年築、総戸数962戸(3つのタワー棟、3つのコート棟合計)

平成中期のマンションは地震にも洪水にも強い

上記の平成15年前後に建設されたマンションは敷地が多摩川沿いに面しているため、国土交通省の『高規格堤防』整備地区として指定、整備されています。高規格堤防(堤防の高さとマンションの敷地の高さが等高でなだらかな傾斜に整備されている)の整備と併せて建築。堤防の幅を非常に広くして破堤を防ぐ高規格堤防は、地震にも強く、万が一計画を超えるような大洪水が起きた場合でも、水があふれることはあっても壊滅的な被害を避けることができるとされています。

このように、下丸子駅・武蔵新田駅周辺は戦後の工場地化から住宅地化へと大きく変貌を遂げ、その歴史は日本の高度経済成長とともに歩んできた象徴的な地域といえます。いずれも大規模工場跡地が大型マンションに変貌した一例ですが、ほかにも数多くのマンションが立ち並んでいます。

ドラマ下町ロケットの舞台

池井戸潤さん原作の小説『下町ロケット』が2015年にテレビドラマで放送されましたが、ドラマの中の「佃製作所」ロケ地となったのが武蔵新田駅から徒歩14分にある精密金属部品メーカーの『株式会社桂川精螺製作所』という工場です。

現在、工場と本社機能は新社屋となりましたが、その敷地の一部はマンション『ザ・ガーデンズ大田多摩川』(2020年11月、総戸数378戸、地上14階建)となっています。

周辺の住環境の魅力

東急多摩川線沿線は、住環境の観点から見ると魅力的なエリアです。以下にいくつかのポイントをご紹介します。

●自然との調和:多摩川沿いに位置しているため、自然環境が豊かです。散歩やジョギングに最適な河川敷があり、四季折々の風景を楽しめます。春には多摩川河川敷の桜並木が咲き誇り、お花見の方でにぎわいます。秋にはガス橋通り沿いのいちょう並木が秋を知らせます。

●都心へのアクセスの便利さ:東急多摩川線は、都心へのアクセスが良好です。蒲田駅を経由してJR京浜東北線で横浜品川方面へ、多摩川駅を経由して東横線目黒線で都心方面、横浜方面など、主要駅へのアクセスがスムーズであり、通勤・通学に便利です。

●不動産価格のバランス:一戸建てやマンションの価格帯は幅広く、ご予算に合わせて選択肢が豊富です。

●生活施設の充実:複数のスーパーマーケットや飲食店、公園などがあり、日常生活に必要な施設がそろっています。

総じて、東急多摩川線沿線は、自然と都心の利便性を両立させた住みやすいエリアといえるでしょう。

蒲蒲線(新空港線)計画、羽田空港へのアクセス

東急多摩川線には、蒲田駅から1つ目の駅の矢口渡駅から多摩川線を地下化し、京急蒲田駅の地下、JR・東急蒲田駅の地下を通り、大鳥居駅の手前で京急空港線に接続させる計画が具体的に進行中です。

約800mのJR・東急蒲田駅~京急蒲田駅間を鉄道で結ぶことで、大田区内の東西方向の移動、羽田空港へのアクセスが便利になります。さらには東急東横線や東京メトロ副都心線などとの相互直通運転も計画されていて、これにより羽田空港が渋谷・新宿・池袋の都市や埼玉県方面とつながります。

広域的な鉄道ネットワークとすることも計画されており、鵜の木駅、下丸子駅、武蔵新田駅周辺の住環境はさらに向上するでしょう。

 

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公開日:2024年2月19日

REDSエージェント、宅建士の穗坂一也です。今回は、神奈川県川崎市で住まい探しを検討している方に向けて、JR川崎駅周辺の住環境について解説します。

川崎駅

(写真はイメージです)

JR川崎駅の歴史

JR川崎駅は、神奈川県川崎市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅で、日本で3番目に開業した鉄道駅です。

旧東海道五十三次の2番目の宿場、川崎宿(1623年、品川・神奈川両宿の伝馬負担を軽減するために開設された)として栄えた街に1872(明治5)年に神奈川駅とともに正式に開業。品川駅と横浜駅(現在の桜木町駅)間で開業していた鉄道の中間駅として設けられました。

その後、川崎駅は貨物の取り扱いを開始し、現在の京浜東北線、南武線が運行されるようになりました。1945(昭和20)年には大空襲に見舞われ、市街地のほとんどが焼け野原となりましたが、戦後まもなくして復興。昭和30年代になると日本が高度経済成長期に突入するなか、京浜工業地帯の中核都市「川崎」にはたくさんの工場ができたため労働者が集まり、人口増加率も全国一になるなどして急速に発展しました。

そのシンボルが、1959(昭和34)年に竣工した地上5階・地下1階建、94店舗が入居した当時の国鉄川崎駅です。その後、1980(昭和55)年には東海道線のすべての普通列車が停車するようになり、8年後には橋上駅舎化が行われました。2017年には北口改札、北口自由通路が共用開始され駅西口と東口のアクセス、および隣接する京急川崎駅へのアクセスがより便利になりました。

川崎駅周辺の商業施設

川崎駅

川崎駅東口駅前ロータリーでは、京急電鉄・バス・市電などの交通のかなめとして大勢の人が行き交い、デパートや飲食店、娯楽施設、金融機関など繁華街ができていきました。

1980年代になると岡田屋デパート(岡田屋モアーズ)や地下街のアゼリア、バスターミナルが整備され商業地として発展しています。2002年開業の複合施設「ラ チッタデッラ」は、川崎駅から徒歩5分のシネマコンプレックス「チネチッタ」やライブホール「クラブチッタ」、美容・リラクゼーションの施設などを備えたイタリアのヒルタウンをモチーフに作られたエンタテイメントの街です。ここでは個性的なショップやカフェ、レストラン、美容施設などが楽しめます。

2023年には地上25階建の川崎市役所の新庁舎が完成しました。

川崎駅周辺の住環境

JR川崎駅周辺の住環境は多様で魅力的です。このエリアは都心からアクセスが良好で、さまざまな施設や商業施設が集まっています。JR川崎駅から徒歩10分くらいまでの立地は商業地域のため、賃貸マンション、分譲マンション、商業施設が建ち並んでいます。徒歩15分以上の立地から戸建、アパートなどが立ち並ぶエリアとなっています。

・交通利便性:川崎駅は多くの路線が交差するターミナル駅であり、東京や横浜へのアクセスが便利です。また、北口の整備によりさらに利便性が向上しています。

・商業施設:ラゾーナ川崎プラザ内には家電量販店、各種専門店、スーパーマーケットなどがあり、川崎駅ビル(アトレ川崎)、川崎駅東口地下街(アゼリア)、川崎駅東口の商店街(銀柳街)、ラチッタデッラ、ミューザ川崎シンフォニーホールなど、大型商業施設が近くにあり、普段使いの買い物から、食事、アミューズメントまで何でもそろっています。

・治安:川崎駅周辺は近代的で洗練された雰囲気を持ちつつ、自然も豊富ですが、一部のエリアは注意が必要です。

・住宅ストック数:川崎駅はマンションストック数が日本一と言われており、多くの住宅オプションがあります。

・自然環境:川崎には多摩川の川岸があり、自然が豊かです。

総じて、川崎駅周辺は都会と自然のバランスが取れた魅力的なエリアです。ただし、各エリアによって異なるため、具体的な物件を選ぶ際には詳細な調査が必要です。

川崎駅西口エリアは職住近接の人気の街

川崎駅西口には、かつて駅の目の前に東芝創業の地である東芝堀川町工場(1998年より同社川崎事業所)がありましたが2000年に閉鎖された後、再開発事業が進められました。2006年に川崎駅前のランドマークである「ラゾーナ川崎プラザ(商業ゾーン)」、2007年に「ラゾーナ川崎レジデンス(住宅ゾーン)(地上34階建、総戸数667戸)」が竣工しました。

川崎駅西口駅周辺にはそれと相前後してヴィルクレール川崎タワー(地上21階建、総戸数106戸、1999年10月築)、ブリリア川崎タワー(地上34階建、総戸数395戸、2008年7月築)、サンクタス川崎タワー(地上33階建、総戸数300戸、2012年3月築)などのタワーマンションが建設されました。

商業施設としては前記のラゾーナ川崎プラザのほか、川崎駅西口デッキ直結、音楽ホールを中核にオフィスタワーとレストラン街などを有するミューザ川崎(地上27階建、2003年竣工)、同じく川崎駅西口デッキ直結、オフィス・商業・ホテルの3つで構成された「KAWASAKI DELTA(街区名称)」(地上29階建、2021年竣工)が建ち並び、職住近接の賑わいある住みやすく人気の街となっています。

まとめ

JR川崎駅周辺の不動産は、近年注目されているエリアの一つです。多摩川を県境として東京都大田区、および横浜市鶴見区と隣接する地域です。東京都心と横浜市の中間に位置し、交通の便が良いため、現役世帯、子育て世帯、単身世帯が多く住んでいます。川崎駅周辺は、商業施設やホテルの開業、再開発プロジェクトなどにより商況が改善しています。また、不動産の取得需要も強く、取引価格は過去約20年間上昇傾向にあります。

このエリアで住まいをお探しの方はぜひ、REDSまでご相談ください。

 

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最終更新日:2024年2月5日
公開日:2024年2月3日

皆様、お世話になります。穗坂 一也(ほさか かずや)と申します。

株式会社不動産流通システムREDSの不動産営業(エージェント)として、お客様の不動産に関するお悩み、ご不安、ご懸念を解決させていただき、スムーズな不動産売買のお手伝いをさせていただくため、2024年2月1日に入社いたしました。

私はこれまで中古マンション、新築・中古戸建、住宅用地のご売却とご購入の仲介業務に携わってまいりました。きれいごとではないクライアントファースト(お客様本位)で、フィデューシャリー・デューティー(お客様本位の業務運営)を実践することで、安全でご満足・ご納得いただける不動産のご購入、ご売却の仲介業務を目指してまいります。

仲介手数料無料または割引にて、ご成約をいただける当社システムを十分にご活用いただきつつ、ご納得、ご満足いただけるサービスをご提供させていただきます。

 

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